往復書簡、ふたりの本棚

本や音楽×日々の出来事、ゆき(うっちゃん)とりえ(やそりえ)の往復書簡

5月の風 ~『ツバメ記念日』重松清~ りえより

 気付けば5月。天気のいい朝、思い立っておひさまを味わおう!とハンモックをしに出掛けたら、大好きな新緑の季節がそこここにあるのを感じました。

f:id:yukirie:20180503004642j:plain

 

 思いがけなく保育園の転園が決まり、5月から新しい保育園に通う日々。環境が変わるからということで、この1週間は慣らし保育期間中。朝少し保育園に行ったらすぐ帰ってべったり過ごせることが娘は嬉しいみたい。わたしもゴールデンウィークで仕事が休みなのをいいことに、娘との時間をホクホク喜んで過ごしています。

 しかし保育園転園、なんというか心渦巻く出来事でした。4月は新しい仕事・初めての保育園生活+更に新しく仕事を紹介してもらって始めることになり、万華鏡のような1ヶ月だった…その中で、娘との深いつながりを感じていた保育園を去るのは決断に苦しい出来事だったなと、今書いていて改めて気付きます。

 

 4月の保育園最終日、つまり、娘と初めて通った保育園に行く最後の日。それは土曜日で、娘の他は1人だけが預けられているいつもより静かな保育園で、娘が大好きな担任の先生が一人で見てくれていたの。14時に迎えに行ったときは、深く考えずに娘の様子だけ気にしながら保育園に入った。娘も寝起きでぼぉっとしている様子だったので、このままサクっと帰ろうと(恐らく先生の方もそう思ってた)、いつものように挨拶をして保育園を出ました。まるで明日もまた来るかのように。

 しかし思えばわたしの人生で、初めて信頼して自分の子を預ける経験をした場所だったんだと思うと、保育園を後に歩き出してから切ない気持ちでいっぱいになった。娘にとっても本当に大切な大切な存在だったのだから、担任の先生の連絡先くらい聞けばよかった…と思いながら家に着いて、荷物を拡げていたら、見知らぬズボンが入っているのに気付いた。

 同じ0歳クラスの他の子のズボンが紛れ込んだのだと思う。それを見てすぐに保育園に返しに戻ろうとすんなり決心し、娘もつれて歩き出していた。わたしが後ろ髪引かれる思いでいることに娘も気付いて、こんなサプライズを仕掛けてくれたのかも。

 そうして保育園に戻り先生に忘れ物を渡す、そのときの「ええっ?!あー!持ってきてもらってありがとうございますー!」と先生の明るい大きな声、その(まさかこんなすぐ会えると思わなかったけど会えて嬉しい!)という気持ちが溢れるような声を聞いたときに、なんと娘が一気に噴き出すように泣き出したのでした。先生もわたしも初めて見るような……なにか「別れ」を意識しての涙だったのかもしれない。最終日だからというより、からだで何かの終了を感じ取りそしてそれを全身で表現している、って感じ。その「いま」に命を燃やしているような娘を見てると、反射的にわたしも先生もうるうるしてしまったのでした。

 帰るときには機嫌も直って先生に笑顔を見せていた娘。よかった、と後から何度も思い出すたびに思う。先生の記憶に笑顔がずっと残っていてくれたらいい。

 

 覚えているか。そんなの記憶に残ってるわけないじゃない、と言わずに、いまから覚えていてほしい。

  あの日、由紀をベビーカーに乗せて駅のホームに出たパパを、ママはベンチから立ち上がって、笑顔で迎えてくれた。

 こっちこっち、と両手を大きく振っていた。すると、由紀はなにがおかしかったのか、急にご機嫌な笑い声をあげたのだ。

 ママもうれしそうだった。張り切って、もっと大きく両手を振った。

 

 意図せず変化を受け入れて、どこか無理しながらもなんとかやりこなす、なんてことは常習。いつものこと。

 でも、自分じゃない相手に変化を受け入れさせることを決断するのがしんどかったんだ、って思う。「最後に笑い声聞けてよかったわ」って先生に言われて3人で一緒に笑って、ほんとのほんとに保育園を後にしたとき、顔がまぶたが熱くなって涙がこみあがってくるのが分かった。きっと深いつながりがあって出会った保育園だし先生だから、またきっと再会するはず。それでも別れがさみしくて。

 きょとんとして、それから笑って胸に顔を埋めて、娘は見ないフリしてくれた。新緑の風が吹いてほっぺたを冷やしてくれたよ。

 

 これからもきっと家族を巻き込んで変化を乗り越えることがあるんだと思う。そのたびにギュッと悩んで決めて、大きく一歩進んだり立ち止まったり、熱い涙も味わうのかもしれない。

 誰かのズボンが間違って入っててよかった。大切なプロセスを与えてくれた計らいに感謝。5月も引き続き万華鏡の毎日がやってくる。「いま」の手触りをしっかり感じよう。

藤棚の下で~『ママはテンパリスト』東村アキコ~ゆきより

  4月も後半となり、慌ただしくスタートした新生活のペースを掴みつつあるのかな。思いがけない保育園転園が決まるなど、息つく間もないだろうけど、あなたらしくそんな盛りだくさんな日々をこなしていってるだろうなと思います。

 5月が近づいてきて、近所の公園の藤棚も美しく仕上がりつつある。息子とここでお弁当を食べているとほんわか甘い香りがしてうっとりしてしまう。色っぽく、可憐で力強く、かつさわやかな藤の紫に憧れを覚える。同時に今のあなたが重なるよ。

f:id:yukirie:20180418235421j:plain

 引用してくれたランディさんの言葉を読んで、あなたのことなのか、私のことなのか、あ、そうか引用かって混乱しそうになるほどでした。全部が全部、あてはまりすぎてる。そして、改めて考えてみた。私が懐かしく思い出すのはどんなことだろう。もしかしたら何も思い出さないかもしれない。ただただ過ぎていった、本当のような幻のような時間。ぼんやりとしかない印象。子育てをしていて、そのときそのときは必死なのに、過ぎてしまえばなんだったのかよくわからない嵐のような夢のような感じがする。常に今現在に集中して時間を重ねるってこういうことなのかなって初めて知った。

 初めてママ友という友達ができて漫画を貸してくれた。育児ナメてましたという作者が、息子さんの面白エピソードを痛快に紹介してくれている。まだまだうちの子もこれから色々やってくれるんだろうなと、楽しみと恐怖を覚悟させられた。みんなこんな大変な目にあってるんだな、とわかるとなんだか少し強張った肩の力が緩む。漫画なので引用は難しいけれど、そうだなー特に印象的だったのは、全身ジュース浴びてしまってオムツいっちょで映画館で映画を観たっていうやつかな(笑)。自分事だったらヒヤヒヤイライラピキピキかもしれないけど、他人事だと笑っちゃうんだよね。あ、これお酒でのやっちゃった談もそうかも。いずれにせよ、その場で当事者は真剣な分笑えるのかもね。

  思いもよらない刺激的な毎日も、過ぎていけばなんだかぼんやりしていく。そしてただただ愛おしい気持ちだけになる。懐かしく思い出すのは、どんな出来事でもなくこんな愛おしさなのかもしれない。

初めてだらけの1週間 ~『ほつれとむすぼれ』田口ランディ~ りえより

 4月は新しい季節。それをまざまざと実感した1週間が過ぎました。

 エールありがとう。あなたがいつも心のどこかで「どうしてるかな?」と思いを馳せてくれていること、こちらもいつも心のどこかで感じながら過ごしていたよ。4月1日からの1週間は、次々に始まりを受け入れながらもたくさんのひとが思いを寄せてくれていることを同時に感じるすてきな期間でした。そして急ぎ足で桜が咲き散る一方で、新緑の勢いや目一杯に開いたハナミズキに頼もしさを感じ、「今」の積み重ねでなんとかやり過ごしている自分も大きなサイクルの一員だと安心したりしました。

  あなたからの手紙に、子どもが言葉を今まさに紡ぎ出さんとしている様子が書かれていて感動してしまった。春になると桜が咲き緑が芽吹くように、彼らの中でも何かが目まぐるしく起こっているのだね。そしてその機が熟したらきちんと変化がやってくる。

 

 4月から、わたしは新しい職場で初めてする仕事が始まり娘は保育園に通うようになったわけですが、毎日はおおむね順調です。娘は大好きな先生と過ごせるのがうれしいようだしわたしも今のところ落ち着いて勤務時間を過ごせている。

 この生活が始まって思うのは、こういう変化のときを迎えることで家族のかたちをつくっていくのかもしれないなということ。初登園の日には、旦那さんも仕事が午後からだったので3人で保育園まで歩いたのでした。また、今はまだ「慣らし保育」の期間なので12時半でお迎えに行かなくてはならないのだけど、わたしが仕事で行けない日は旦那さんが保育園の送迎をしたりも。彼が夕方から仕事で出なくてはならない日に、わたしが大急ぎで帰ってバトンタッチする…という日もあって、綱渡りのような生活だと思わないでもないけれど、一日一日を乗り越えながら3人のチームの在り方を探っているような感覚です。

 こういう感覚、今まで話に聞いたり本で読んだりしてきたような気がするけれど、自分が体験するまではあくまで「分かったつもり」だったのだと思い知る。妊娠中からそんなことが何度あったことだろう。

 

 私って何だろうと、思った。

 この時、はっきりと、自分の人生は後半に入ったんだなあって、思った。もう全然若くないんだ、私……と。認識するのが遅すぎたくらいなのだけれど、その時、強烈に自覚した。

 たぶん、このイル・デ・パンの夜のように「ああ、私って老年なんだわ」と稲妻が落ちたように実感する日がこれから先、来るのだろうなあ。それはたった一人の時に訪れる。私は子供を産んでから、一人になるということがほとんどなかったので、自分自身についてしみじみと振り返るということもなかった。

(中略)

 それからは、人生は引き算になった。

 私はこの先、あと何年生きるのだろう……である。

 

 ランディさんが四十歳のときにハッとしたように、わたしも出産してから“稲妻が落ちたように”生死について・家族について、実感することが多くなった。今は死ねない、と思ったりもする。やっと今、3人のチームができあがりつつある。

 

  もし、未来になにか大変なこと、例えば戦争とか、大災害が起こって、そしてとても苦しい生活を余儀なくされたとき、私が懐かしく思い出すのは今日の夜のようなことだな……と。臨終のときに思い出すのは、今日のような夕暮れのことだ。

 ニューカレドニアの美しい風景でもなく、多くの人から称賛された思い出でもなく、へべれけに飲んで友達と騒いだことでもなく、ものすごく他愛ない今夜のような穏やかな夕食のことを、私はきっと心から懐かしくかけがえないものとして思い出すのだろう。

 

 最近の楽しみは、夜、娘と一緒の布団に入る瞬間。体温がうつった布団のあたたかさ・人の気配に安心してぐんと深い眠りに入ったような表情・すぐそこまでとろとろとやってきている眠りに身を任せる快楽。彼女からたくさんのギフトを今日も受け取ったことを感謝し、彼女もわたしから何かを受け取ったであろうことを喜び、このあたたかい光のような気持ちを幸せと呼ぶのかなと思う。

 八重桜が今は盛り。

f:id:yukirie:20180408221534j:plain

 なんだかまとまりなくよく分からない手紙になってしまったけれど、 生の心境をよく表しているともいえるなぁ。ということで、このまま送ってしまいます。

 それでは、またね。

新しい始まりを迎える二人へ~♪春の歌 ウカスカジー~ゆきより

連続の投稿になるけれど、3月の終わりで4月の始まり、特別なスタートを切るあなたと娘ちゃんにエールを送りたくて。

今週はずーっと毎日息子とお花見していて、日々桜が開いていく様を色んな場所で見てはからだじゅうで春を感じていた。こんなに毎日桜を堪能したのは生まれて始めて。外に出ると、街が空気や人々がうきうきしているように見えた。少し前まで寒かったことなんてみんなすっかり忘れてしまうんだから、自然ってすごいなあ。

息子はずっとアクセントが一番強い一文字ですべてを表現して伝えいたのだけれど、最近三文字言葉ができるようになってきた。「み」と言ってたのに、「みー、、、かん」って。「ご」と言ってたのに、「りん、、、ご」って。脳が頑張って言葉を繋げてるのがまるで目で見えるかのように、ゆっくり絞り出すように言うの。そして言えたらとっても嬉しそうに笑う。ベビーカーに乗ってるいるときや、ひとりで遊んでいるときも思い出したように練習している。「りんご、言ってみて」とお願いすると、まだ練習中なんだよ~という顔ではにかんでは言ってくれないが、しばらくすると小さな声で確認するように言ってみてにやっと笑う。なんともかわいくて感動するよ。

あなたたちも毎日の発見に喜び満ちた春を過ごしているだろうね。

成長の一端を見つけるたびに、この子は強い子だ、大丈夫って思う。そして、「あなたのもとでちゃんと育ってますよ」って精一杯の力で見せてくれているようで、ありがとうって思う。

f:id:yukirie:20180401005241j:plain

近所の公園に咲いた八重の桜。少し濃いピンクが綺麗。春が過ぎると知らない間に忘れちゃっては毎年、あ、また会えたねって思う。

 

春風 木漏れ日 さくら舞い散る道

いくつもの出会いと別れ

握りしめて歩こう

遥か遠くに住む 君に届くように

さぁ風に乗って響け この春の歌

ららららららら ららららららら

ららららららら spring days spring days

 ラジオの春のキャンペーンソングで、ミスチルの桜井さんが作った曲。複数のアーティストが少しずつ歌っている。たくさんの桜の名曲があるなかで、ここ数年の私のスプリングソングはこれ。文字におこすとよくあるような歌詞なのに、聴くとぐっと胸を締めつけられる。作ったひとと、歌う人の魂が音楽にのっているのがわかる。あなたにも私の魂が届きますように。このつたない手紙にいつも想いを乗せて。

f:id:yukirie:20180401011220j:plain

春の輝き~♪ダンデライオン 松任谷由実~ゆきより

春になって、あちこちでたくさん花が咲きわくわくする。

あちらこちらで写真を撮っては、ブログに載せようかなって思っていたんだけど、桜も菜の花もスイセンもこの花の力強さと輝きにはかなわなかったのか、一番載せたいなと思った。子どもの頃から、一番身近に感じていた花だからだろうか。

花の魅力だけではなく、やっぱり歌が一緒に出てきたからっていうのもある。

抜粋するのがとても難しいくらい、メロディー、歌詞、歌声すべての雰囲気が好き。ユーミンが歌う芯の強さも、原田知世さんが歌う包まれるような感じも好き。こんなに強いたくましい花なのに、切なさや哀愁を感じるこの歌に違和感はない。強さってそういうものと背中合わせにあることを思い知る。あなたが愛しいと悲しいが似ていることを教えてくれたのと同じように。

 

つみとってささげたら ひとに笑われそうな

私にできるすべてを受け取って

ふるさとの両親がよこす手紙のような

ぎこちないぬくもりほど泣きたるなる

 

きみはダンデライオン

本当の孤独を今まで知らないの

とても幸せな淋しさを抱いて これから歩けない

わたしはもうあなたなしで

 

f:id:yukirie:20180329232647j:plain

子どもってたんぽぽがとっても似合う。

小さくて、でも強くて、ぱーっと明るく咲いているからかな。綿毛のふわふわも子どものふわふわした柔らかさと、自由に飛んでいく姿が重なるのかも。

本当に飛んで行ってしまう日まで、いっぱい一緒に色々しよう。

f:id:yukirie:20180329232951j:plain

晩御飯は、たんぽぽ色のお鍋でたいたおでん。

おでんって難しいよね。なかなか納得いく仕上がりにならない。他のおかずも何にしようかいつも困る。でも作っちゃう不思議なやつです。

f:id:yukirie:20180329232711j:plain

見えない家族 ~♪パーマ屋ゆんた ビギン~ りえより

 あなたの手紙を読んでから、『花束をきみに』を口ずさむ毎日。子どもに対する言葉として噛みしめると、また味わい深いね。引用してくれた、♪両手でも抱えきれないまばゆい風景の数々をありがとう…って、もう今にしてすでに、娘に対して何百回でも言えると思う。誰かに恋したときって、世界が一気に色鮮やかに変わる気がするんだけど、出産後はそれ以上。毎日が毎分毎秒が、新しくて懐かしい。彼女はただ存在している・生きているだけなのに、こんな世界に連れてきてくれた。

 そして命の連鎖は愛情の連鎖…そうだね、そしてその連鎖は縦だけでなく横にもつながっているような気がします。という気付きから、今日の手紙を書いてみよう。 

 

 先日、風の強い日に娘を抱っこして出掛けたら帰り道で雨に遭ってしまった。空もようがあやしいなーとは思っていたんだけど、結構ちゃんと降ってきたのね。両手は買い物の荷物(重い)と娘のフードを押さえるので埋まっているし、コンビニに入って傘を買うにも、サイフを取り出したりレジでのやり取りがままならない感じ。急いで帰ろうと横断歩道で信号待ちしていたら、同じく信号待ちしていたご婦人がそっと傘に入れてくれた。その女性の隣に立ったときに、女同士なのか母親同士なのか分からないけれど、何かつながっている故の予感はあったのだけど、“当然”というふうに傘に入れてもらえて、納得と驚きを感じたのでした。晴れていたのにね、でも雲行きがあやしい感じはありましたよね、と言葉を交わしていると信号が変わり、さぁじゃ急いで帰ってあげて、というように彼女との交わりは終わったのだけど、「誰かに愛情をかけられた(娘もわたしも)」という印象が残っています。

 もうひとつ、4月から通う保育園で。そこは4月開園の新しい保育園で、最近建物ができて内装が進んでいるところ。通園の感覚をつかむために、毎日の散歩コースにしてるんだけど、数日前、作業をしている先生と窓越しに目が合って、どうぞ中へ入ってみて行ってください、ということになった。娘はこれまで一時預かりで言った幾つかの保育園では常に自分を閉じていた…声を出さないとかミルクを飲まないとか遊ばずじっと観察しているとかだった…のだけど、そのときは自分から保育園の環境やおもちゃに興味を示して手を伸ばし、しかも先生にも声を出して笑いかけた(!)のでした。先生の方も、“いつものこと”のように娘に話しかけているし。少し先生が場を離れたら、娘は不満そうに「わぁー」と声を出し先生は「はーいはい」と応じる…何かずっと以前から通じ合っていたのだねと思うしかないような。

 今の家族、とは別の次元でわたしたちには家族がいるのかもしれない。っていうか、出会うひとやこんな大勢の中で接点があるって、それだけで家族っていうことなのかもしれない。

 

さー 赤ちゃんだったよ初カットは(ゆいさー)

   今でも指が思い出すさ(さーさ)

 

なんでなんでなのかね運命は(でんさー)

それでも信じる方がいい

髪は髪は切ってもそろえても(ゆいさー)

同じようには伸びないさ(でんさー)

だからパーマ屋があるわけさ 

 

 初めてこの歌をラジオで聞いたときは、その優しくて甘いメロディーが恋愛の歌かと思った。でもパーマ屋さんが沖縄を出る、近所の女の子へ向けた歌だった。今は分かる。優しくて甘い愛情のつながりは、縦にも横にも自在に拡がっているもの。

 

 まだ生まれて1年経たない赤ちゃんは、どんな世界を生きているんだろう?自分と他人・今日と明日・外と内、そんな区別がない世界にいるんじゃないかと時々想像してる。

 最近パンを焼くのが…というかこねるのが、癒し。小さく丸めたパンは小さな人へ。

f:id:yukirie:20180314101755j:plain

母と母~♪花束を君に 宇多田ヒカル~ゆきより

 珍しく生々しいあなたのリアルが具体的に垣間見えた記事、本当に手紙のようで、このブログがまた色濃くなったようで嬉しいわ。『いのちのために、いのちをかけよ』も読んでくれてるんだね。ああいう本は本当に芯をわかる人にじゃないと、自分が読んでることさえ言いにくい。ブログで取り上げるのも躊躇いはあったけれど、今だから感じてる生の私の感性を出すことが自分にもブログにもいいと思ったよ。妊娠・出産で興奮しているであろう今の状態を残しておきたい。時間とともに、薄らいだり馴染んだりしてしまう前に。

 あなたが仕事先から交代を告げられたこと、私もとてもショックです。現に私も妊娠で仕事を辞めるように促されたし、母としてと社会人としての両立の難しさや、社会のシステムなど女性の在り方・生き方をずっと考えている。答えは自分の中にまだ見つけられていないし、人によってもそれぞれなのだろうとも思う。自分が出産前に思っていた産後の社会復帰のこと、産後すぐに思ったこと、今思うこと、変わってきている。最初はできるだけ早い復帰が望ましい気がしてたけれど、今はじっくりゆっくり息子と過ごすことの大切さを感じてもいる。本当に急いで社会復帰する必要があるのだろうかって。何が大事なんだろうかって。多くの女性がきっと同じように思ってきたり、同じような壁にぶち当たってるから、在宅ワークとか自分でできるビジネス始めたりとかそういうことかと今更納得。

 

花束を君に贈ろう

愛しい人 愛しい人

どんな言葉並べても

君を讃えるには足りないから

今日は贈ろう 涙色の花束を君に

 

 妊娠中、ちょうど宇多田ヒカルが活動再開して、よくラジオで聴いていた(相変わらずラジオ聴いてるのよ)。漠然とした抽象的な歌詞ながら、歌声やメロディから優しさと胸を締めつける切なさに何度か涙した。お母さんになった宇多田さんの母性に触れた気がして。彼女もまた、母になってバルブが全開に開いたというか、つくづく感性の人なのだと思う。一度目の結婚直後のアルバムも素敵で、探していた居場所を見つけた幸せと、ずっと背後にあった切なさの絶妙なバランスに心を掴まれた。アーティストだから当たり前なのかもしれないけれど、ここまで露骨に、かつ美しく自分の変化した感性を表現できる人はあまりいない気がする。

 この歌もまた、亡くなったお母様を想ってつくられたと言われてるけれど、どことなく子どもに対しての言葉のようにも感じていた。それはきっと、自分と母親を思うとき、我が子と母親である自分もどこか重ねてしまうからかな。自分が母親になって、母は私のことをどれほど大切に思っていただろうことや、自分がいかに愛されてきたかを真に感じて、同時に自分の未熟さと少し大人になったのかもなという部分を感じる。命の連鎖は愛情の連鎖だよね。ありきたりながら経験してみないとわからなかったことだらけ。

f:id:yukirie:20180306004509j:plain

両手でも抱えきれない

眩しい風景の数々をありがとう

 

 私は明石公園の梅を。もう梅も終わりで、そろそろ桜のつぼみがふくらもうとしているね。季節の巡りを一番感じる春。あなたにも私にも、明るくやわらかに光がさしこみますように。視界はまた一段と開けていくよ。