往復書簡、ふたりの本棚

本や音楽×日々の出来事、ゆき(うっちゃん)とりえ(やそりえ)の往復書簡

初めてだらけの1週間 ~『ほつれとむすぼれ』田口ランディ~ りえより

 4月は新しい季節。それをまざまざと実感した1週間が過ぎました。

 エールありがとう。あなたがいつも心のどこかで「どうしてるかな?」と思いを馳せてくれていること、こちらもいつも心のどこかで感じながら過ごしていたよ。4月1日からの1週間は、次々に始まりを受け入れながらもたくさんのひとが思いを寄せてくれていることを同時に感じるすてきな期間でした。そして急ぎ足で桜が咲き散る一方で、新緑の勢いや目一杯に開いたハナミズキに頼もしさを感じ、「今」の積み重ねでなんとかやり過ごしている自分も大きなサイクルの一員だと安心したりしました。

  あなたからの手紙に、子どもが言葉を今まさに紡ぎ出さんとしている様子が書かれていて感動してしまった。春になると桜が咲き緑が芽吹くように、彼らの中でも何かが目まぐるしく起こっているのだね。そしてその機が熟したらきちんと変化がやってくる。

 

 4月から、わたしは新しい職場で初めてする仕事が始まり娘は保育園に通うようになったわけですが、毎日はおおむね順調です。娘は大好きな先生と過ごせるのがうれしいようだしわたしも今のところ落ち着いて勤務時間を過ごせている。

 この生活が始まって思うのは、こういう変化のときを迎えることで家族のかたちをつくっていくのかもしれないなということ。初登園の日には、旦那さんも仕事が午後からだったので3人で保育園まで歩いたのでした。また、今はまだ「慣らし保育」の期間なので12時半でお迎えに行かなくてはならないのだけど、わたしが仕事で行けない日は旦那さんが保育園の送迎をしたりも。彼が夕方から仕事で出なくてはならない日に、わたしが大急ぎで帰ってバトンタッチする…という日もあって、綱渡りのような生活だと思わないでもないけれど、一日一日を乗り越えながら3人のチームの在り方を探っているような感覚です。

 こういう感覚、今まで話に聞いたり本で読んだりしてきたような気がするけれど、自分が体験するまではあくまで「分かったつもり」だったのだと思い知る。妊娠中からそんなことが何度あったことだろう。

 

 私って何だろうと、思った。

 この時、はっきりと、自分の人生は後半に入ったんだなあって、思った。もう全然若くないんだ、私……と。認識するのが遅すぎたくらいなのだけれど、その時、強烈に自覚した。

 たぶん、このイル・デ・パンの夜のように「ああ、私って老年なんだわ」と稲妻が落ちたように実感する日がこれから先、来るのだろうなあ。それはたった一人の時に訪れる。私は子供を産んでから、一人になるということがほとんどなかったので、自分自身についてしみじみと振り返るということもなかった。

(中略)

 それからは、人生は引き算になった。

 私はこの先、あと何年生きるのだろう……である。

 

 ランディさんが四十歳のときにハッとしたように、わたしも出産してから“稲妻が落ちたように”生死について・家族について、実感することが多くなった。今は死ねない、と思ったりもする。やっと今、3人のチームができあがりつつある。

 

  もし、未来になにか大変なこと、例えば戦争とか、大災害が起こって、そしてとても苦しい生活を余儀なくされたとき、私が懐かしく思い出すのは今日の夜のようなことだな……と。臨終のときに思い出すのは、今日のような夕暮れのことだ。

 ニューカレドニアの美しい風景でもなく、多くの人から称賛された思い出でもなく、へべれけに飲んで友達と騒いだことでもなく、ものすごく他愛ない今夜のような穏やかな夕食のことを、私はきっと心から懐かしくかけがえないものとして思い出すのだろう。

 

 最近の楽しみは、夜、娘と一緒の布団に入る瞬間。体温がうつった布団のあたたかさ・人の気配に安心してぐんと深い眠りに入ったような表情・すぐそこまでとろとろとやってきている眠りに身を任せる快楽。彼女からたくさんのギフトを今日も受け取ったことを感謝し、彼女もわたしから何かを受け取ったであろうことを喜び、このあたたかい光のような気持ちを幸せと呼ぶのかなと思う。

 八重桜が今は盛り。

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 なんだかまとまりなくよく分からない手紙になってしまったけれど、 生の心境をよく表しているともいえるなぁ。ということで、このまま送ってしまいます。

 それでは、またね。